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2021年7月18日 : 真の幸せに【自己肯定】は必要ない
人は幸せになるために、

「自分を受け入れる」とか「自分を愛する」とか、
自分を肯定しようとするけど、


結果として、そういう感覚がただあることと、
そうなろうとする事は、全く別物なのです。



自己肯定しようとする意識には、
必ず自己否定する意識がセットだからです。






常に自分を肯定していたら、
それは「肯定」でもなく、
「フラット」ですらなく、
ただ在る何か、感覚だ。



だから、自己肯定しようとすればするほどに、
どこかで否定してる意識を産み出しているということ。




身長180センチの人が、
「身長180センチになりたい」とは思わないですよね?


「身長180センチじゃない」という認識なしには「身長180センチになりたい」とは思いようがないわけです。



だから
自分を肯定しようとするには、自分を否定する認識なしには成り立たない。



幸せになろうとするには、
幸せでない自分を認識しないと成り立たない。


求めれば求める程、反対側が、追いかけてくる。



出た、人類お得意のラットレース!(笑)

 

全ての事には、表と裏があるという思い込みを捨ててみる。
肯定も否定も、陰も陽も、幸せも不幸せも
実在はしていません。






本当の幸せや自由には自己肯定なんて必要ない。


否定も肯定も概念、幻想、思い込みの夢。



真の自由や幸せは、何もする必要がないと気づくこと。


だから何でもできること。


何もしなくても幸せになれるなら、
何をしても幸せだということ?


何だって出来ると言うこと。


何者でもないから、何者でもあれるということ。



既に全ての願いは叶っている。

2021年7月17日 : 観ているものを「わたし」が創り、観ているものが「わたし」を創った。
わたし「なぜ流れを作るんですか?」


神「流れを作るのと、作らないことの違いは何か?」




わたし「なぜ、次に行くのですか?」

神「次に行くことと、行かないことの違いは何か?」








全ての答えは問いの中にあり、

何かと何かの間に違いはない。





流れを作ることと作らないことは同じこと。
次に行くことと行かないことは同じこと。
問いと答えは同じこと。



つまり、意識の現象化は、
問いの現象化だ。



なぜ問いが現象化、つまり問いが世界になるのか。


それは、この世界の創造主が、全てが、
「わたし」だから。
その問いの答えが、「わたし」の世界を創っている。



次元も数字も、あなたも私も概念であると同時に、
次元も数字もあなたも私も同じもの。

と表現できる。



全ては同じもの。



やることとやらないこと。
愛することと愛さないこと。
見ることと見ないこと。



違いのあるものは何もない。



「わたし」が世界を観ていた。
観ていたものが「わたし」を観ていた。



これも分かれていなく、違いはない。






全ては夢のようなもの。



観ているものを「わたし」が創り
観ているものが「わたし」を創った。




「わたし」が認識できるものがなくなれば、全てはなくなる。


「なくなる」を認識する誰か、何かすらなくなるのだから。



つまり

「わたし」はいないようで、
「わたし」は永遠なのだ。








永遠に続く  「わたし」の夢。
2021年7月15日 : 自我は「無いもの」に向かうエネルギー
先日、こんなブログを書きました。
?
全ての感情は比較から生まれる


人がストレスを感じるのって、

その状況より自分にとってマシな状況と比較してるから。




一番ストレスを感じるのは、

その自分にとってマシな状況にできるかもしれない可能性を強く感じてるとき。




地球の裏側にあるパンを食べれなくてもイライラはしないけど、
目の前にあるパンや、食べる予定だったパンが食べられないとイライラするのと同じこと。



全然勉強してないテストで合格しなくても気にならないのに、
猛勉強したテストで合格しないと落胆するのと同じこと。




でも起きたことは、「パンを食べなかった」という一つだけ、
「テストが不合格だった」という一つだけで、




「~できたかもしれない」というのは空想の中のこと。



つまり、イライラって、空想の中で起きてること。



夢の中で起きたことと同じ、

実際は何も起こっていなかった!(笑)








苦しみはいつでも、「無いもの」への執着から生まれる。

 
自我は、「無いもの」へと向かうエネルギーとも言える。


だから、自我が強いと苦しいし、薄まると感情の起伏は緩やかになる。




目覚めるまで、人はずっと夢を見ている。

幸せな夢、不幸せな夢。
もっといい夢、もっと悪い夢。

沢山のことが起こる夢。

色々なメガネを付け替えて
「あなた」が「あなた」で、
「わたし」が「わたし」であるという夢。

「わたし」を取り巻く様々な夢。

「わたし」が「わたし」を体験するために、
自我は強く「全て」に抗う。


まるで完全に白旗を揚げるように、
全てを明け渡すように、
在るものを愛すると、「わたし」は消滅して
全てであるという気づきのような、何かになる。


初めから、ずっと完全な愛そのものだった

大切な瞬間は、永遠に続く





2021年7月10日 : 友人のLINEで紐解く、怒りの仕組み
こんにちは(*^^*)

いつも読んで頂きありがとうございます





私は、お話会やセッションで、



「頭だけで理解しようとするより、

自分の体験に当てはめてみるのが一番」




ということを常日頃からお伝えしているわけなのですが、

先日友人からのLINEで、

これこそは!!というのがあったので、

友人の許可を得て、これを読んで下さってる皆様にシェアしようと思います(*^^*)







先日、こんなブログを書きました。
?
なぜ【怒り】が起こるのか



怒りが起こるのは、期待があったり、その人の正しさがあったりするから。


言い換えたら「実際に起こったこと」と起こってないこと(空想、理想)と比較して起こるもの。


(今ここ以外をみる意識)


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



そして友人からのLINEというのがこちら。




友人が友人のお母さんと車に乗ってるとき、

お母さんが「もつ鍋を食べたい」と言った。


友人は以前にもお母さんがもつ鍋を食べたいと言っていたので、

コストコでお母さんのためにもつを買ってきて、冷凍してあげていたそうで。





「前に買ったもつ冷凍してたよね?あれどうした?」と聞くと




とLINEが来たので「言ったら?(笑)」と言ってみた。








ていうやり取りを、一人で爆笑しながらやっていた私でした(笑)


たかがもつ、されどもつ。
家族や恋人や夫婦は、それまでの歴史があったりして、それぞれの逆鱗があるというもの。






この場合はお母さんのために買ってきたものを黙って捨てないで欲しいという期待と

自分のために買ってきてくれたものを黙って捨てるべきではないのが正しいという思い込みがあるということ。






でも、もし友人が↑↑こういうのではなく



常に冷凍庫はスッキリしていて欲しいという期待があって、

断捨離こそ正しい、という思い込みがあったら、





友人からのLINEはこうなっていたはず。


「ねぇ。きいて。お母さん、私が買ってきた、

冷凍庫をパンパンにしていたもつを、黙って捨ててくれてたんだよ!

もつを買ってきて冷凍庫をパンパンにした私に一言も言わずだよ?

すごい男気じゃない?冷凍庫スッキリしてるし!!」


「30年以上一緒に暮らしてきた私の想像の上をいく片付けスキル!」









言うまでもなく、どっちが良くてどっちが悪いっていう話じゃなくて、





このように、自分がどんな

条件、思い込み、期待、正しさ、二元性(二元性についてはこちら)

を持っているかで、 

起こる感情は全く変わってくる。




条件とかだけじゃない。その日の気分、体調、天気、状況、その他多数 でも変わってくる。


出来事=感情

ではないということ。





条件や二元性だって、その時その時で微妙に変わる。

あなたの怒り、感情に、出来事も相手も関係ない。

さらに言うとあなた(個としての)も関係ない。



起こることが起こっただけのこと。




変えられるものも、変えるべきものも何もない。





念のため断っておくと、「もつを捨て続けるお母さんだよ!(笑)」

というのは全く批判ではない(笑)



 
だって、捨てたっていいじゃないですか。
捨てたかったんだから。


(正確には「捨てた」が起こっただけ)



そしてこの友人も、期待して怒ったっていい。



もつを捨てるのも、人に期待して怒るのも、自由だ。

自分のために買ってきてくれたものを、捨てる自由、捨てない自由。

お母さんのために買ってきたもつを捨てないでいてくれる期待をする自由、期待しない自由。



誰だってどっちだって、全ての人は自由で、何がどうしたって、


無条件の愛そのものだ。




ただその仕組みがあるだけ。

そして本当はそれすらも個人としての自分が起こしていることではない。




このブログを読んで下さってる皆様は、悟りや非二元に興味がある人、

または悩みや苦しみからの解放、幸せになることを望んでいることと思います。




いくら色々な人のブログを読んだり、セミナーに行ったり本とか読んだりしても、

自分の体験として、感覚で腑に落ちなかったらそれはただの知識や言葉の羅列で

気づきではないわけです。


あなたはあなたの体験が全て。


ぜひ自分の体験に当てはめてみて下さいね


2021年7月9日 : なぜ【怒り】が起こるのか
「ネガティブ」と呼ばれる感情の一つに【怒り】があるかと思います。




怒りはなぜ起こるのか、考えたことはありますか?









それは決して、

相手があなたを怒らせることをしたから。。ではありません。

あなたの怒りに、相手は関係ありません。





怒るのもそれまでの過程や内容は様々、ケースバイケース。



怒りの裏にはたいてい悲しみが隠れていることも多々ありますが、




一つだけ全てのケースに共通していること。。





それは【期待している】【自分が正しいと思い込んでいる】


↑これが当たり前だと思っている状態







人に何か言われて怒るとき、


怒りが相手に対して起こるなら、



言われないことを期待している。
または違う言葉を期待している。




それは間違ってるとか、言うべきではないと思う(=自分が正しいと思い込んでいる)、





怒りが自分に対して起こるなら、



それを言われない自分を期待している。
または違う言葉を言われる自分を期待している。



自分がそんなことを言われるはずがないと思っている。(自分が正しいから)




◇◇◇◇◇◇◇◇◇





だけど、正しいも間違いも存在しないということは、このブログを読んでくれている人や、

非二元やノンデュアリティ、悟りに興味がある人ならもうわかりますよね?


非二元についてはこちらから


価値観の違いやものさしの違いとかでなく、存在しないのです。





さあ、これで、解決ですね(笑)


ただ、それだけなのです。





正しいも間違いもないのに

人は何かを「正しい」と思い込み、そうでないものを「間違い」とする。



これでは認め合うことなんて不可能です。




認め合うことが「良い」とか「正しい」と思い込んで


認め合おうとする人や世の中を良し、そうしようとしない人や世の中を悪い、

とするのも同じこと。




「良い」も「悪い」も

「正しい」も「間違い」も存在しない。





期待も同じこと。



全ての人は常にその時の環境、体調、心境、意識レベル、
全ての要素の中で必ずベストを尽くしている。


つまりそれ以上の結果は存在しないのだ。



それ以上というより、それ以外の結果は。


それ以外の選択肢もない。




もっとこうできたはずの自分も、もっとこうできるはずの自分も存在しない。

もっとこうしてくれたかもしれない相手も、もっとこうしてくれるかもしれない相手も世の中も存在しない。





つまり、怒りは、存在しないものと比較することで産まれている。


俗に言うお化けや幽霊よりも、オカルトチックだとは思いませんか(笑)




 

それが良いとか悪いでもなく、ただその仕組みがあるだけ。





二元生は、ない。

2つのものはない。


分離はない。




それに感覚的に腑に落ちたとき、(落ちる「誰か」はいないんだけど)


人は怒りや悲しみ、「ネガティブ」な感情や出来事から解放されます。


それはつまり、「ポジティブ」からも解放されるということ。


感情に名前などないんだということ。


全ては一つだということ。




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