非二元の表現は、「在る」だけ

最近ストーリーのブログが続いていたけど、
久しぶりに非二元の話


私は非二元もスピリチュアルも、
知らないまま、興味がないまま、
今の状態になったから、


いわゆるスピリチュアル用語も、
非二元の用語的なものもほぼ知らなかった。


二元性とかノンデュアリティとか、真我とか。




で、いざ探求を終えて、
非二元や悟りを語って下さいと言われたら、



「全て在る」



の一言で終わってしまうんだよね。


バリエーションはある(笑)





「全て一つ」
「ただの表れ」
「エネルギーが在るだけ」
「主体と客体の消滅」
「全体」
「無い」
「統合」

その他。。


自我の不在、「わたし」がいないのもそうだけど


最終的には自分がいないと感じる誰かもいなくなるから、自我の不在という表現もまたちょっと違う。



自我と真我もそう。
真我を意識した瞬間、自我は強まる。



言葉自体が二元性で分離だから、
言葉にした瞬間、


意味が生まれ、分離が生まれて、
ストーリーができる。





だから、本当に探求を終えると、
非二元についてしゃべることなくなるというか(笑)



何を言っても、言葉にした時点で分離だし、
さらに、変えるべきことも、変えられる事もない。
向かうべき未来も、振り返る過去もなく、
今しかない。


時間としての今(now)ではない。
「居(る)間」としての「いま」だけ。



ただただ観てるだけになって、
そのうち「観てる」という意識もなくなっていく。


全ての分離がなくなる。



探求を終えると苦しみがなくなるのは、

条件や観念、エゴがなくなるからというのもあるけど、

それはイコール苦しみを感じたり認識する誰かがいなくなるから。



認識そのものがなくなるからなんだよね。
(それをしようとするのがエゴ、自我なのだけど)



これはね、頭で理解しようとしたって絶対に無理。(笑)



だって頭で理解しようとすること自体がもう分離だから。



頭で理解しようとした瞬間、
理解する者とされるものとの分離が生まれる。



思考と感覚ですら、分かれてなくて同じものなんだから。





非二元というのは、何も分けない状態のこと。




良いと悪い、未来と過去、それとそれじゃないもの、
他者と自分、神と自分、宇宙と自分、真我と自我、



そんな分離は実在していないんだよね。




だから集合意識というのも実在はしない。



集合する複数の何かはいないから(笑)





自分が自分と思い込んでいる「わたし」という誰かですら、1秒後にはもう全く別の物体で。



「わたし」は移り変わるもの。
全ては、移り変わるもの。




ただ在る。

全てが。





だったら、



寝ていてもいいし、
この際思い切り二元性を楽しんじゃってもいい。


せっかく二元性の世界に生まれたんだからね


ストーリー的に言えば

アセンションするとしないの違いは、
二元性に翻弄されるか、楽しむかの違いとも言える




私がこのイベントをやる理由にもそれがある。



翻弄されるドラマもいい。
でも楽しむドラマも、なかなかいい。


さらにそれを誰かと共有できたなら、
もう本当に、生まれてきて良かった!!って思うんです



二元性のこの世界に。
あなたとわたしが存在するこの世界で。




この愛を、共有できたら最高



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2021年7月26日