真の幸せに「自己肯定」は必要ない
人は幸せになるために、
「自分を受け入れる」とか
「自分を愛する」とか、
自分を肯定しようとするけど、
結果として、
そういう感覚がただあることと、
そうなろうとする事は、
全く別物なのです。
自己肯定しようとする意識には、
必ず自己否定する意識がセットだからです。

常に自分を肯定していたら、
それは「肯定」でもなく、
「フラット」ですらなく、
ただ在る何か、感覚だ。
だから、自己肯定しようとすればするほどに、
どこかで否定してる意識を産み出しているということ。
身長180センチの人が、
「身長180センチになりたい」とは思わないですよね?
「身長180センチじゃない」という認識なしには「身長180センチになりたい」とは思いようがないわけです。
だから
自分を肯定しようとするには、自分を否定する認識なしには成り立たない。

幸せになろうとするには、
幸せでない自分を認識しないと成り立たない。
求めれば求める程、
反対側が、追いかけてくる。
出た、人類お得意のラットレース!(笑)
全ての事には、
表と裏があるという思い込みを捨ててみる。
肯定も否定も、陰も陽も、幸せも不幸せも
実在はしていません。

本当の幸せや自由には
自己肯定なんて必要ない。
否定も肯定も概念、
幻想、思い込みの夢。
真の自由や幸せは、
何もする必要がないと気づくこと。
だから何でもできること。
何もしなくても幸せになれるなら、
何をしても幸せだということ。
何だって出来ると言うこと。

何者でもないから、
何者でもあれるということ。
既に全ての願いは叶っている。
